萩に行くなら城下町散策をしたい筆者( .@azusagut )です。
今回は、萩ということで、萩焼についてです。
茶道にかかわるかたならピンとくるかと思います
本記事では、萩焼の
- 歴史
- 特徴
- 資料館・美術館
- 陶器市
他の焼き物については↓コチラから。
萩焼の歴史
萩焼は現在の山口県萩市でやかれています。
当初は広島にありましたが、のちに萩へ移ったものが現代に続いています。
萩焼のおこり
萩焼のおこりは、朝鮮出兵。いわるゆ「やきもの戦争」に始まります。
毛利輝元はこの際に陶工、李勺光(り しゃくこう)を連れ帰り、広島で窯を開かせました。
後に弟の李敬(り けい)も日本へ招致されることとなります。
しかし、関ケ原の戦いの後、1604年に輝元は広島から萩へ移されます。
李兄弟もそれに伴い、萩の松本村で新たな窯をつくりました。
これが、現代に続く萩焼のはじまりです。
わびさびが感じられる茶陶をつくるべく開窯されたんですね
初代三輪休雪の誕生と発展
御用窯として発展していた萩焼は、1657年に一部の陶工が現長門市深川湯本に移住、
第二の御用窯を開きます。
松本村にある窯では、1663年頃に初代三輪休雪 (みわ きゅうせつ)が加わり、
質、量ともに大きな発展を遂げます。
高麗茶碗を手本としていた萩焼ですが、
織部好みや、休雪が「楽焼」を取り入れたことから日本色が強くなりました。
この時期は茶器はもちろんですが、煎茶具などの生産もしていました
苦難と再興
萩焼も明治維新の廃藩置県により、大きな打撃を受けます。藩の庇護がなくなり、経営難に陥ってしまいます。
生活も西洋化が進み、多くの窯がなくなる中、日本の伝統文化の再評価(内国勧業博覧会)が起こりました。
この際茶の湯がブームとなり、萩焼は茶の湯との結びつきを強くアピールし、
萩焼は「一楽二萩三唐津」といわれるほどのブランドを確立しました。
戦後は茶の湯再ブームもあり、萩焼の需要はますます増え、無形文化財としての指定。
1970年には三輪休和が、1983年には11代三輪休雪が人間国宝に指定されました。
ちなみに休和と休雪は兄弟です
萩焼の特徴
萩焼は土の風合いを生かし、絵付けをほとんど行わないのが特徴です。
用いられる土は浸透性や・保水・保温性に優れており比較的早い段階で貫入ができます。
茶がしみ込んでできたものを「茶慣れ」といい、色つやは経年変化をします。
この萩焼独特の変化を「萩の七化け」と呼び、茶人に好まれています。
最近では茶器に限らず、日用品も多く焼かれるようになっていますが、
素朴な佇まいは変わらず、使い勝手のよいうつわです。
萩焼の資料館・美術館
以下の2点がおすすめスポットです。現地に行かれるさいの参考にしてください。
山口県立萩美術館・浦上記念館
萩焼をはじめ、浮世絵や東洋磁器の常設があります。
人間国宝の作品をはじめ、近代萩焼が充実しているようです。
萩焼資料館
販売も行っている資料館。展示数が多く、古い萩焼から現代の萩焼まで総合的に鑑賞できます。
萩焼の陶器市
萩焼の陶器市は年に2回開催されます。
萩焼まつり
毎年5月1日~5日ごろ開催。
萩・田町萩まつり
毎年10月上旬ごろ開催。
まとめ
本記事では「【さくっと解説】茶人大名のもとで生まれ育った萩焼|歴史と特徴」について書きました。
毛利家という茶人大名のもとで生まれ、茶の湯ブームにうまく乗っかり発展した萩焼。
素朴な風合いは食器でもかわらず、落ち着いた雰囲気を出しています。
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