ビール職人になってみたい筆者( .@azusagut )です。
1日の終わりの一杯、楽しんでいますか?
お風呂上がりの最初の一杯はやっぱり、なんといってもビールが王道ではないでしょうか。
そんなビールですが、いつ、どこで、だれが発見し、いつ頃から造り始められたかご存じでしょうか?
本記事では、ビールの
- ビールの起源
- 中世までにおけるビールの広がりと歴史
についてさくっとお話しします。
お酒と人との出会いは実は偶然から。
さて、どんな経緯で生まれたものか見ていきましょう。
ビールとの出会いは偶然?
そもそもビールといわず、お酒と人の出会いは偶然から生まれたものです。
その出会いは、人類が農業を始めたころといわれています。
ビールの起源、発祥地は、世界最古の文明メソポタミア文明だと考えられています。
チグリス川とユーフラテス川に囲まれた肥沃な大地では農業が盛んにおこなわれ、
収穫した麦からパンを作っていました。
そのパンを作る過程で、偶然、金色の液体が生まれました。
この液体を飲むと、体は健康になり、不思議と気分が高揚し「これは神からの贈り物だ!」と考えました。
この液体こそ、ビールなんです。
当時は「ビール」ではなく、「シカル」(シカリとも)と呼ばれていました。
「ビール」という言葉が生まれたのは中世の時代です。
ビールはパンを作る過程で偶然生まれたものなんですね。
ただ、「偶然」であったため、なぜビールができたのかは当時はまだわかりませんでした。
なので「神からの贈り物」という考えがより強くなったんでしょうね
エジプトとバビロニアへ渡ったビール
メソポタミアを起源とするビールは、お近くのエジプトやバビロニアに広がっていきました。
エジプトでもバビロニアでもビールは重用され、バビロニアでは「ハンムラビ法典」で
ビールの掛け売りの規則や偽造行為への罰則が記されていたり、
エジプトでは王家の墓に醸造所の模型が祭られていたり、
壁面に醸造の様子が描かれていたことからも、ビールの重要さが分かります。
やはりビールは偉大
エジプトでは、ピラミッド建設に携わった労働者にビールが与える、
薬として積極的にビールを用いる、
ビール業者には兵役を免除、
といったようにビールは日常的なものだったようです。
余談ですが、ピラミッド建設はけして強制的に行ったわけではなく、ビール目当てでむしろ積極的に従事したそう。
水より衛生的で、栄養のあるビールですからその理由にも納得です。
コチラの地方であまりビールの印象はありませんが、
はるか昔からビールを愛飲していたことが分かりますね。
ヨーロッパにおけるビール
一方、ヨーロッパのビール事情はあまり明るいものではありませんでした。
というのも、当時のヨーロッパではローマ帝国の支配下にあり、
ローマ人が好んで飲むものといえば、ワインが主流でした。
当時、ガリア地方(現在のフランス、ドイツあたり)では「ビール」らしきものを
飲んでいたようですが、ローマ人からすれば、それは蛮族ののみもの。
しかも当時のビールは「飲む」というより「食べる」に近い、ドロドロしたもの。
そう思われるのも無理はないかもしれません…。
更に言うと、ローマは気候風土の関係上、麦類が育ちにくかったのも原因です。
とはいえ、ローマの版図がより広まるにつれ、徐々にビールも浸透しました。
この時のビール造りはガリア人、ゲルマン人によるものです。
その後、フランク王にしてローマ皇帝でもあったカール大帝が、「荘園令」を発したことにより、
ヨーロッパのビールは大きく前進することとなります。
「荘園令」により、各領主たちはビール醸造所を設置することになり、
多くの地方でビールが造り始められたのです。
また、キリスト教においても修道士が栄養補給のためにビールが重宝されており、
修道院でのビール醸造が一般的になってきました。
(実は「断食期間に何を飲んでも良い」を逆手にビール造りが始まったふしもあります…)
こうした修道院で作られるビールのことを「トラピスト」といいます。
ちなみに、現代でも修道院で作られたビールは楽しめますよ!
ORVAL(オルヴァル)特徴的なボトルで、すっきりした味。
CHIMAY(シメイ)。種類も豊富で見た目も楽しめます。
ビール界の救世主、「ホップ」
ホップのおかげでビールはさらなる発展を遂げます。
中世頃、いまではすっかりお馴染みのホップがついにビール造りに本格的に用いられ始めます。
ちょうどこのころ、「bier」または「beer」がホップの特徴を表した、
苦みの強い発酵酒を総称する呼称として定着し、「ビール」という名ができました。
ホップは発酵の天敵である雑菌の繁殖を抑え、香味、苦み、泡立ち、のど越し、コクを生む効果があります。
それゆえ、「緑の黄金」と呼ばれていました。
学識を持った修道士たちの努力により、ビールの製法はどんどん洗練されていき、
やがて一般の民衆にも広がりを見せるようになりました。
この時代でだいぶビールの商品価値も上がり、ワインと肩を並べるほどのものもできました。
しかし民衆でもビール醸造が可能になってしまったことにより、
ビールの品質は著しく低下。粗悪品が横行する事態になってしまいました…。
このような事態を治めるべく、ビール醸造に当たっては、5年の修行期間を設け、
ギルド制度の下に製法や衛生管理などに厳しい規定も設けました。
特に、ドイツバイエルン地方君主であったヴィルヘルム4世は、1516年に「ビール純粋令」を発令。
「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」と定め、
品質の向上と安定化を図るなどの工夫を凝らしました。
こうして、ヨーロッパのビール品質は向上し、更に近代に入りビールは世界に向けて進出が始まるのです…!
フランスのモンテカルロ・ブロンドエール。
女性好みのフルーティーな味わいです。
ドイツの黒ビール、ケストリッツァー 。
ゲーテも愛したビールで、筆者も愛してます。
バイエルン地方で有名なビールといえば、ホフブロイ。
400年を超える歴史が守った味は、日本人にも飲みやすい味ですよ。
まとめ
本記事では「【さくっと解説】ビールの起源や歴史についてVol.1|~中世時代まで」について書きました。
ビールに限らず、お酒と人の出会いは基本的に偶然の産物。
発酵や、酵母という存在がまだわからなかった時代、「神からの捧げもの」として扱われ、
やがて発酵のシステムが分かるようになってから、
お酒はやがて神ののみものから性格を変えていきます。
近々、近代以降のビールについてご紹介します!
しました!↓
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