細川忠興ってモラハラ夫じゃん…(失礼)と思う、筆者( .@azusagut )です。
細川忠興とうつわ…ここでピンときた方はすごい!
今回は上野焼(あがのやき)についてです。
タイトルに書いてありますけど…
本記事では、上野焼の
- 歴史
- 特徴
- 資料館・美術館
- 陶器市
について書きました。
上野焼は茶陶として生まれ、「緑青流し」が有名ですね。
ちなみにアイキャッチの画像は白糸の滝。きれいな水があるとこ、よいうつわあり!
他の焼き物については↓コチラから。
上野焼の歴史
上野焼かは福岡県福智町(ふくちまち)で生まれました。清流が流れ、陶芸に向いた土地です。
ご当地グルメの「方城すいとん」で有名にもなりましたね。
上野焼のおこり
上野焼も九州地方の焼き物だけあり、朝鮮出兵のさい連れてこられた陶工が窯を開いたことに始まります。
陶工を招いたのは武将茶人として有名な小倉藩主・細川忠興(ほそかわ ただおき)です。
彼は御用窯として自身好みの茶陶をつくらせ始めました。
上野は水質、陶土ともに恵まれており、良質な茶陶が焼かれていました
遠州七窯に選出される
1632年に細川家の国替えがありましたが、一部陶工はうえにとどまり、
次の藩主である小笠原家のもとで上野焼を続けていきました。
江戸時代になると徳川家の茶道指南役である小堀遠州が茶器をつくるために全国七か国の窯元を選定、
通称「遠州七窯」にも選ばれます。
ちなみに、「遠州七窯」とは、
・志戸呂焼(遠江:遠州)
・膳所焼(近江)
・朝日焼(山城)
・赤膚焼(大和)
・古曽部焼(摂津)
・上野焼(豊前)
・高取焼(筑前)
を指します。
これにより、より全国的に有名に。多くの茶人に好まれました。
衰退と復興
しかし、明治時代の1871年の廃藩置県により御用窯であった上野焼は衰退してしまいます。
それでも1902年は、熊谷九八郎らにより田川郡の補助を受け復興されています。
1983年には国の伝統工芸品に指定され、今日なお窯の火は燃え続けています。
上野焼の特徴
茶陶として生まれた背景があるため、非常に落ち着いた風情の上野焼です。
絵付けはせずに、釉薬の色彩それ自体が絵として、表情を見せています。
また、使われる釉薬が非常に多く、
深く濃い緑釉を主体に灰釉,三彩釉,白釉,鉄釉など多岐にわたります。
特に上野焼の代名詞といわれるのは緑青釉です。
「緑青流し」と呼ばれるものです。
「重すぎず、軽すぎず。目立ちすぎないけども、存在感はある」
これらが上野焼の特徴と言えるでしょう。
上野焼の資料館・美術館
現地に行かれる際は以下の施設がおすすめですよ。
上野焼陶芸館
展示ではなく総合物販店ですが、種類が多く、地元の野菜なども販売しており買い物目的や幅広く上野焼を見たいならおすすめ。
福岡県立美術館
福岡県内の焼き物を中心に、近代洋画、絵画などが見られます。
古い上野焼を見たいなら、美術館がいいですよ。
上野焼の陶器市
上野焼は年に2回、春と秋に陶器市が開催されます。
公式で「大盤振る舞い!」と謡うだけあり、お買い得に上野焼が買えるチャンスです。
福岡や小倉方面の観光も兼ねて足を運んでみては?
まとめ
本記事では、「【さくっと解説】ある武将茶人が生んだ茶陶「上野焼」|歴史と特徴」について書きました。
茶陶として生まれた上野焼は現代では庶民のうつわも多く、食卓を彩るようになりました。
しかし、御用窯であった誇りや尊厳を感じさせる、佇まいは健全です。
けして目立ちすぎない。でも存在感のある上野焼をお試しください
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