【さくっと解説】欧州で絶賛された繊細な技術|三川内焼の歴史と特徴

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長崎に行ったらベタでもハウステンボスに行きたい筆者( .@azusagut )です。

長崎や佐賀には有田焼をはじめ多くの焼き物がありますが、

今回は長崎うまれの三川内焼

  • 歴史
  • 特徴
  • 資料館・美術館
  • 陶器市

について書きました。

透かし彫りの美しい白磁…というイメージ

他の焼き物については↓コチラから。

目次

三川内焼の歴史

三川内焼は現在の佐世保市三川内で焼かれています。北東に有田、南東に波佐見がありますね。

三川内焼のおこり

三川内焼は「焼き物戦争」とも言われる朝鮮出兵で陶工を連れてきたことから始まります。

当初は現在の三川内ではなく、平戸で窯を設けて作陶がはじまりました。

しかし、平戸では良質な陶石がなく現在の三川内に落ち着きました。

当時の三川内焼は藩窯で、民衆とは関係のないやきものでした。また、当初は「平戸焼」という名でもありました。

幕府への献上・海外輸出

画像引用:させぼ・おぢかの観光方法サイト様より

当初は陶器が主なやきものでしたが、1640年頃に白磁鉱が発見され、徐々に陶磁器の作成も増えてきました。

ちょうど透かし彫りなどの細工もこのころはじまっています

そうしたなか、1650年頃には藩の庇護もあった三川内焼は幕府への献上品にもなり、

17世紀後半にはついに、中国を含む欧州にも輸出されるほどでした。

転換期

画像引用:させぼ・おぢかの観光方法サイト様より

しかし海外輸出も中国の景徳鎮の復活に伴い輸出量は減り、庶民向けにシフトチェンジする必要に迫られました。

有田焼と同じような道をたどっていますね

しかし質の高い技術は健在で、景徳鎮とは違い、

コーヒー椀やワインカップや、置物、透かし彫りをヨーロッパに向け輸出も新たにはじめました。

あの平賀源内も三川内焼を絶賛したそうですよ

明治時代にもなると、廃藩置県により藩窯から民窯へと移り変わり、

庶民にも三川内焼が一般的になやきものになっていきました。

こうして三川内焼は輸出用のものから国内用の安価なうつわまでを扱うようになりました。

ただ、第二次世界大戦後は、大量生産に乗り遅れたために販路が拡大ができませんでした。

大量生産といえば美濃焼

でも逆に昔ながらの製法を保護することに繋がっているんですよ

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三川内焼の特徴

画像引用:させぼ・おぢかの観光方法サイト様より

三川内焼の特徴は「透かし彫り」と「手捻り」といった技術です。

どれも手作業で造られ、非常に繊細なうつわです。

絵柄は「唐子(からこ)」模様がとくに有名で縁起物として扱われています。

画像引用:させぼ・おぢかの観光方法サイト様より

中国風の髪形や服装をした子供が遊んでいる姿を図像として表現したものを唐子といいます

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三川内焼きの資料館

より学びたい、見たいという方はコチラがおすすめ。

三川内焼伝統産業会館(三川内焼美術館)

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三川内焼の陶器市

毎年10月の第2週頃に「みかわち陶器市」が催されます。

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三川内焼のまとめ

本記事では「【さくっと解説】欧州で絶賛された繊細な技術|三川内焼の歴史と特徴」について書きました。

薩摩焼などと同じように朝鮮から陶工を連れてきたことに始まり、

以後藩の庇護のもとで繊細な技術が培われ、今に残る三川内焼です。

おしゃれなカップをひとつ、三川内焼で試してみてもいいかもしれませんね。

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