波佐見焼を始めてみた時、読み方がわかりませんでした。筆者( .@azusagut )です。
皆さんは2001年に起きた雪印牛肉偽装事件を覚えていますか?
安価な外国産を国産と偽り不正に補助金を得ていた産地偽装事件でした。
これを機に国内では産地を明確にすることが求められるようになりました。
…が、このあおりを受けたうつわがあるのをご存じですか?そのうつわこそ、
「波佐見(はさみ)焼」です。
別に波佐見焼は産地を偽装していたなど、やましいことは一切ありませんが、
この事件で「波佐見焼」という名が生まれたも同然です。
400年余りの歴史を持ちつつ、「波佐見焼」という名ができたのはなんと最近のことです。
本記事では、そんな波佐見焼の
- 歴史
- 特徴
- 資料館・美術館
- 陶器市
についてさくっと解説していきます。
波佐見焼は有田焼とのかかわりが非常に強い焼き物です。
他のやきものについては↓コチラから。
波佐見焼の歴史
波佐見焼は長崎県の波佐見町で造られているうつわです。
この地理の近さが重要です。有田とはお隣さんですね。
波佐見焼のおこり
江戸時代に連房式登窯が造られたことから、はじまります。
この登り窯のおかげで焼き物は大量生産が可能となり波佐見には当時世界最大規模の窯があったそうです。
このころは国内の富裕層向けの青磁を多く生産しており有田焼とともに磁器生産の中心として栄えました。
波佐見で造られたうつわは、東南アジアを中心に輸出されていき、
伊万里焼のように主に富裕層・海外向きのうつわづくりがされていました。
国外から国内への転換期
しかし、国内へ売り場を求める必要が出てきました。
それは景徳鎮の復活です。(有田焼でも書きましたが…)
実はこの時期中国は内乱で磁器の輸出がストップしており、
それに代わって日本の有田焼が磁器生産を担っていました。
しかし内乱が落ち着き、再び景徳鎮が出てくると有田焼は中国の価格競争に負け、撤退を余儀なくされます。
同じく波佐見で焼かれたうつわも撤退。国内へ目を向けることとなりました。
民衆に寄り添ううつわづくり
波佐見は世界最大の窯でより多くの生産ができるように、
絵付けの簡略化、コンニャク印判と呼ばれるハンコを使うなど工夫をしました。
コンニャク印判…絵付けは筆で描いたり、印判を使うが、文字通りコンニャクを使った印判
その甲斐あって、江戸後期には磁器の染付が生産量が日本一となり、
「くらわんか椀」に代表される多くの磁器を生産していました。
また、幕末には「コンプラ瓶」と呼ばれる醤油瓶を作成。
この瓶に詰められた醤油はオランダに輸出されました。
かなり時代が飛んで1987年(昭和62年)には、給食の食器向けに、「ワレニッカ食器」という強化磁器を発明。
2000年には波佐見の全学校では波佐見焼を使うまでに至ったそうです。
「波佐見焼」の誕生
冒頭で、誕生自体は江戸時代。
400年余りの歴史を持っているが、
「波佐見焼」という名はごく最近。とお話ししました。
ここで地理を少し思い出してください。波佐見は有田とほど近い距離にありますね。
実は波佐見焼は有田又は伊万里で出荷をされていたことから、
「有田焼」であったり、「波佐見焼」として流通していたのです。
有田に鉄道が開通してからは「有田焼」と名乗っていたそう
しかし、冒頭の偽装事件が起き、産地の明記が迫られ、
「有田焼」と名乗れなくなってしまった「波佐見で焼かれたの焼き物」は、
新たに「波佐見焼」と名乗ることになったのです。
本当、ごく最近の話なんですね
波佐見焼の特徴
波佐見焼も美濃焼のように、「特徴がないのが特徴」といわれています。
時代の流行やニーズに合わせて多種多様なうつわを造るため「これが波佐見焼!」というものがありません。
ポップな絵柄もあれば、無地もあり、伝統柄もある。懐の広さが魅力ですね。
とはいえ、波佐見焼は可愛らしいものが多い印象です
波佐見焼の美術館
波佐見焼について知るには下記がおすすめですよ。
波佐見町歴史文化交流館
波佐見焼の歴史から展示までなんでもござれの施設。
波佐見焼の陶器市
波佐見焼は年に3回ほど実施。ほかにも不定期で開催されるものもあり?
波佐見陶器まつり
くらわん館 秋の陶磁器フェア
毎年9月下旬ごろ開催。
波佐見やきもの通り秋まつり
毎年9月中旬ごろ開催。
波佐見焼のまとめ
本記事では「【さくっと解説】おしゃれでかわいい波佐見焼!でもその意外な歴史と特徴とは?」について書きました。
波佐見焼は日本国内でも2割弱の生産量を誇ります。実はもうすでに食器棚にいるかもしれませんね。
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